休日のつらさ
こんばんわ、グリズリーです。
また日付跨いじゃいましたね。
実ははてなブログを使うの初めてで、未だによくわかっていないのですが、スターという機能があるとか無いとか・・・。
フェイスブックの「いいね!」みたいなものなのでしょうか。
今日メールを確認したら、このブログにスターをつけてくださった方がいらっしゃるようで、どうもありがとうございます。
お礼の仕方とか、ページの尋ね方とか、ブログ上での人とのコミュニケーションの取り方がいまいち把握できていないので(妻との件が落ち着いたら勉強します。)、この場を借りてお礼申し上げます。
誰かに私の思っていることを読んでいただけてるんだと分かるだけでも少し気が軽くなった気がします。本当にありがたいことです。
さて、今日はみなさんお待ちかねの祝日でしたね!
・・・でも今の私にとっては嬉しくない祝日でした。
以前は祝日、土日といえば必ず妻と会い、どこかへ出かけたり、家で映画を見たりゲームをしたりしていました。
今では朝から一通も連絡の来ない携帯と、何もない生活、そして、妻との事を思い出し悲観的になる時間が豊富に与えられるだけの苦痛の一日です。
妻と一緒の時はあんなに短く感じられた休日が、こんなに長く、地獄のように感じられるということは、心情によって時間の長さが変わるということは、どうやら本当のことらしいです。
悲観的にはならない。マイナス思考は持たない。と心には決めていますが、どうしてもこれだけは気合いでどうなるものではないようです。
ふと妻と聞いたあの曲や、妻と見た映画の半券、妻からもらった小物などを見るたび、心のどこかでもうあの時の喜びは感じられないのだろうと考えてしまう私がいます。
でも、矛盾してるけど、言ってる事無茶苦茶だけど、どうしても妻ともう一度二人で幸せになるって夢を追いたいんです。
だからそのためにはまず自分が決してあきらめちゃダメなんです。
文字通り死ぬ気で妻との関係修復を目指します。無理だったときはいっそ死んでみようと本気で考えてます。
妻と距離があいてしまってから、私の心のどっかが大きくえぐられてどこかに行ってしまったような、月並みの表現しか出来ませんが、心に大きな穴がぽっかりと開いたままなんです。
私はもちろん私自身だけれども、妻と結婚してからの私は、妻と一緒であることで私がなりたってるというか。
こういうとまた妻には依存と思われてしまうかもしれませんが、もう妻は、プロポーズをしたあの日から私の人生の一部なんです。
だから、妻と離婚してしまうことは私にとっては人生が終わったのと一緒なんです。
私は妻の笑顔が大好きです。周りから馬鹿じゃないのと言われても、ほんとに妻の笑顔は世界一可愛いと思ってます。
でも、最近この件に関して話をするときの妻は今までに見たことないような悲しい顔をしていて、もちろん私の自業自得なのですが、妻の悲しい顔を見るたびその場に居るのが辛くて、正直今は、あの悲しい顔を見たくないから話をしに行きたくないというくらい胸が苦しくて痛くて、つらいのです。
でもだからと言って話すことを辞めることは別れることを意味します。
辛いのは妻のほうだと思います。そんな中でも強引に別れるわけではなく、相談して決めようと言ってくれている妻の優しさが私の愚かさをより強く私に感じさせます。
でもきっと世の中で同じような境遇で離婚をしてしまった方は、きっと相手のつらそうな顔を見てられなくて、もしくは自分の愚かさに嫌気がさして諦めてきたのではないかと、今はそう感じます。
もちろん私も妻の悲しい顔を見ているのは本当につらいし、自分の愚かさも吐き気を催すほど感じています。
でも、それでもそれを耐えてでも、乗り越えて、妻と人生を歩みたいという気持ちのほうが強いから、今はまだ諦めないで頑張れます。
明日一日出社したら、また土日と休みです。地獄の二日間です。
来週中に妻と3度目の話し合い予定です。
土日は出来る限り自分の考えをまとめることに専念し、妻との話し合いを少しでも良い方向へ向かわせることが出来たらと思います。
妻との生活を取り戻せるならどんなことでもする。その思いは全く変わりません。
どんなに心が折れそうなつらい日常でも耐え抜いてやろうじゃないですか。
絶対に最後まであきらめません。