去年までの流れ。ざっくり。
こんばんは、グリズリーです。
先ほどブログの開設が済みました。
今回はこんな事になってしまったまでの経緯をまとめたいと思います。
妻と出会ったのは2013/6/4の事。
電車内で体調を崩していた彼女を介抱したのが私たちの出会いだった。
ずっと独身願望を持っていた私は彼女に対し、「この人と結婚する。」と何かを感じ、
猛アタックの末、12月にはプロポーズ、翌年には一緒に暮らし始めた。
一緒の生活も始まり、楽しい日々を過ごしたのもつかの間、当時デザインの会社に勤めていた私が、上司からの圧力に負け、うつ病に。
2か月の休職の後、退職をすることになった。
この時から私の中で何かが空回り始めたのだ。
結婚したばかりなのに職を失ってしまった。何かお金を稼がなくては。
そんな時に声をかけられたおばさんにそそのかされ、自ら会社を立ち上げようと考える。
会社は設立できたが、人を集めなくては。どうにか人を集めたぞ。
築くと共に会社立ち上げに協力してくれた人達に上手く巻かれ、会社はマルチ商法をする体系に変わっていった。
うつ病で心が弱っていたとはいえ、本当に馬鹿だったと思う。
犯罪者になる前に足を洗わなくては、と思い半ばだまされる形で会社を譲り、また無職に。
結婚したすぐ後から不幸続きで、これでは妻に嫌われてしまう。
どうにかお金を稼がなくては。
そんな時当時住んでいた家の近くでヤマト運輸のパート募集を目にする。
汗水たらして頑張ってお金を稼ぐ姿を見せなくてはと、安易な考えでヤマト運輸に転職。
仕事にも慣れ、うつ病の傷も癒え、ようやく軌道に乗ってきた頃、パートでいいのか?今後どうなる?そんな事を考え始め、何か転職をしなくてはと思い始める。
今思い返せばの話になってしまうが、この頃から私は妻に仕事での愚痴をよく話してしまっていた。本当に愚かだった。
私以上に不安を感じつつも一生懸命、愚痴も言わずに働いている妻に、勝手に転職を繰り返してる私はなんて仕打ちをしていたのだろう。
妻の親戚だって計り知れない不安を抱えていたと思う。
不幸にさせるために娘を嫁に出した訳じゃないと、常に思っていたと思う。
転職を考えていた私に提案してくれたのは妻だった。
私は幼いころから空を飛ぶのが夢で、航空自衛隊に入ったのもそのためだった。
その事を知っていた妻は私に「ヘリコプターのパイロットならまだ目指せるんじゃないのか」と言ってくれた。
もちろん幼いころからの夢を追えるならそうしたいし、何よりその時にはここでパイロットになれれば一発逆転。名誉挽回できるんじゃないか。
そんな淡い期待を抱いていた。
書いていて自分の馬鹿さ、愚かさに反吐が出る。
そうと決まればと、フライトスクールへ話を聞きに行き、訓練のためのお金を借りる事を考えた。
全額借金では返すのが難しいし、何より私が今の状況のままでは二人での生活がままならない。
私がパイロットになって、それから二人で幸せな家庭を築きなおす。
二人でそう決めてそのためにお金を効率よく貯めようと、お互いそれぞれの実家へと帰ることを決意。
私もお金を貯めつつ、勉強時間を確保できると見越し設備管理士へ転職をした。
ここまででも相当な苦労、不安、我慢を妻にはさせてきてしまった。
結婚式は予約までしたのに私の収入の低さから予定金額を貯められず、キャンセル。
家賃も立て替えてもらうことすらあった。
それでもずっと近くで支えてくれていた妻に私は何もしてあげられていない。
これは昨年までの話だが、ここまでの間だけでも妻が離婚したいと思う理由は沢山あったと思う。
昨年から今までの話はまた新たな記事で書こうと思うが、とりあえずここまでが昨年までの本当にざっくりした流れだ。
妻が私に対し離婚したいと思うのは当然の事だと思う。
それだけの事を私がしてきたのだから。
だから妻の言い分を適当に聞き流す気もなく、むしろ尊重するべきだと思っている。
しかし、今現在、私はどうしても妻と別れたくないのだ。
ここまでひどいことをして、彼女の事を思うなら別れてあげなさい。なんておそらくみんなが思うだろう。
でも、これは私の勝手なエゴだが、ここまでひどいことをしてきてしまった妻には、
これから私の手で幸せを与えたいのだ。
今までつらかったけど、信じていてよかったと思ってもらえるほどの幸せを与えたいのだ。
ようやく目を覚まし、今までの行いを反省し、会心した私は新たな仕事で絶対に安定した生活を用意する。くだらないプライドや愚痴は一切持たない。
世界中全ての人に誓ってもいい。
どうかもう一度私との生活を考え、私と二人でこれからの人生を歩んで行ってもらいたいのだ。
そのためならばなんだってする。文字通りなんだってしようと思う。
今日は離婚を切り出されてから二回目の話し合いだった。
妻は前と変わらず優しく、本当に綺麗だった。
話し合いの後に妻の買い物に付き合ったのだが、本当に幸せな時間だった。
ただただ商品を見て一緒に歩く。
それだけで涙が出るほどに幸せだったのだ。
近いものほど見失いやすいとよくいうけれど、まさに、本当に近くにいて支えてくれていた妻を見失ってしまっていた私は大馬鹿者だ。
今日も己の愚かさを恥ずかしみ、眠れぬ夜を耐えようと思う。